創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御講拝読御書研鑽(2024年5月・妙心尼御前御返事)

このまんだらを身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく・子ををやのあいするがごとく・いをの水をたのむがごとく・草木のあめをねがうがごとく・とりの木をたのむがごとく・一切の仏神等のあつまり・まほり昼夜に・かげのごとく・まほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし

今月の御講御書は『妙心尼御前御返事』の御文を拝読しました。妙心尼は高橋六郎兵衛入道の妻です。河合入道の娘で日興上人の叔母に当たります。持妙尼(大聖人からいただいた法号と言えれています)とも窪尼(夫の死後に郷里の西の窪に移住したのでその地名です)とも呼ばれていて、妙心尼・持妙尼・窪尼は同一人物と思われます。今回は御文の冒頭の御本尊受持について少し書きます。創価学会員は自分達は御本尊を受持していると思っていますが、「受持」とは単に御本尊を所有しているという事ではありません。当御文で「この曼荼羅」と言われているのは大聖人から妙心尼に授与された守り本尊のことだと思われますが、この大聖人から授与されたという事が重要なのです。大聖人の御在世に信徒にとっては御本尊は大聖人から授与されるのは当たり前のことですが、大聖人滅後の信徒は大聖人から直接御本尊を賜る事は不可能です。そこで大聖人は御自身の滅後の信徒のことを慮れて戒壇大御本尊を御建立するとともに御本尊授与の権能を日興上人に唯受一人血脈相承したわけです。そしてその血脈は日興上人以降の御歴代法主上人に受け継がれてきました。創価学会は御本尊に関する権能について御書に書かれていないからその権能は法主上人に限定されないなどと言いますが、逆に法主上人以外の僧侶や在家信徒に御本尊に関する権能があるという文言も御書のどこにも書いていません。しかし、日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなりの『日蓮一期弘法付嘱書』と日興上人の『御本尊七箇之相承』の◆右此の七箇の大事・唯授一人の秘伝なり聊爾に口外す可からずの御文を読めば御本尊に関する権能は御歴代法主に存することは明白です。このことから大聖人の御本尊を受持するとは、御当代の法主上人が認可した御本尊を正式な手続きを経て下付していただくということです。正式な手続きとは、日蓮正宗の寺院で御受戒を受けるということです。従って創価のように法主上人の認可されていない掛軸本尊を入会記念勤行会などという手続きで貰っても御本尊受持とはいいません。当然、それでは功徳も積めなければ諸天の加護など有ろうはずもない。創価顕正会員が功徳と呼ぶものは全て魔の通力なのです。破門前の学会員は御受戒は受けていても本尊がニセモノなら意味はないし、創価本尊に取り換えていない人でも本尊を「持って(たもって)」いないので成仏はありません。◆さる間・成仏は持つにあり(四条金吾殿御返事)との御指南にあるように御本尊はただ安置しているだけではダメで「持つ」ことが重要なのです。「もっている」のではなく「たもっている」ことが即身成仏へのキモなのです。「持(たも)つ」とは日々の勤行唱題は当然のことながら、お給仕・御供養・寺院参詣や御登山など御本尊を生身の大聖人だと信じて出来る限りの御奉公をすることです。そうした信心の人を仏神は常に護ってくれるわけです。私達、法華講員はそんなこと当たり前のように分かっていますが、創価顕正会員は全く分かっていません。そんな哀れな創価顕正会員に御受戒・勧戒を勧める折伏活度を私達法華講員はしていかないといけませんね。なぜならそれが出来るのは私達法華講員以外にいないのですから。私も引き続き創価学会員への折伏をガンガンやっていきたいと思います!

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